十二月大歌舞伎 千秋楽


銀座歌舞伎座十二月大歌舞伎の千秋楽を楽しんだ。
歌舞伎は2回目。初めて見たのは浅草だった。後から知ったのだが浅草は若手のチャレンジの場の側面があり、一方歌舞伎座では円熟の演技が見られるのだ。今回は平日に時間がとれ千秋楽夜の部を見られるという幸運。


出演者は僕が知っているような有名どころだけでも

と、まさに「豪華な顔ぶれ」という表現にぴったり。

一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) - 寺子屋

浅草の時よりも、前のめりで一言一句聞き漏らすまいという姿勢で臨んだ。そうでないと言っていることが頭に入ってこないのだ。これはまだ慣れていないからだろう。
NHKなどで放送を見たことがある人はイメージがわきやすいと思うが、歌舞伎といえば台詞が現代語でないものもある。それを補うためにイヤホンガイド(もちろん有料)があり、ストーリィや台詞の背景を解説してくれる。なので必ずしも台詞を理解できる必要はないし、演技も理解の助けになる。
それでもやはり台詞を理解できると楽しいものだ。例えるなら音楽を聴いていて、人生のある瞬間にベースの存在に気付くようなもの。目の前にあるのだけど、そこに存在し意味があるということに注意を払わないと見えない。
本題を外れた。
「菅原伝授手習鑑」は序盤まったく主要人物に見えない勘三郎演じる松王丸が、後半で複雑な心境を吐露する。正直このような複雑なストーリィと感情表現を、歌舞伎に期待していなかったので驚かされた。「勘三郎はうまいよ」と妻に聞かされていたがその一端を垣間見た気がする。
海老蔵の喜び表現(歌舞伎独特の表現)が当たり前のように演じられる一方、テレビっ子の僕には簡単に受け入れられる表現ではなく、それが逆に面白かった。随分と楽しめた。

二、粟餅(あわもち)

幕間の舞い。僕にはまだ良さが分からなかった。セットもやる気がないし、踊り手二人が調子を合わせるところが微妙にずれているのが気になってしまう。楽しむ角度が違うのかもしれない。詳しい人の意見を聞いてみたいところ。

三、ふるあめりかに袖はぬらさじ

休憩をはさんで3時間の長い舞台。江戸時代末期、尊皇攘夷の時代の横浜の遊廓周辺の話。菅原伝授手習鑑 と比べると年代が新しく古典ではない。現代語口語台詞で話の筋が完全に理解できる。
玉三郎の独壇場。とにかく笑える。艶っぽいし圧倒的な存在感。勘三郎獅童がそっと花を添える形でサポート。玉三郎演じる「芸者お園」のキャラクタが(本人の意図しないところで)時代を創っていくとも思えるくらいだ。


また歌舞伎を観に行こうと僕に思わせるには十分なほど面白かった。ところで1%くらいの観客が居眠りしていたのだが、その理由が理解出来なかった。無理やり誘われたりしたのだろうか。


最後に一つ告白しておく。「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の主演を春猿と勘違いしていて最後まで気付かなかった。若いのに春猿は演技がうますぎると感動していたくらいだ。夫婦揃って家に帰ってから玉三郎であることに気付いた。そもそもラベルにあまり意味を感じないし、うまい演者がいたということが大事なのだということにしようか。