一度ふっとリラックスしてしまうと、たちまち見失ってしまい
最近はもうコンピュータのプログラムなんて滅多にしなくなった。一番したのは20代の後半で、このときは自分ほどこの仕事に向いている人間はいないだろう、と思ったほどだ。たぶん県下で自分よりプログラムができる人間はいない、というくらいの自信はあった。なにしろ、当時は人口が少ない三重県にいたから……。
高校生のときに数学の難しい問題(「大学への数学」なんかに面白い問題があった)を解いたが、そのときだってこれほど考えなかったな、と思うことが、プログラミング中に幾度かあった。ほんのときどき、それくらい深いところへ迷い込み、もう考えに考えて考え抜くしか、この迷路を抜け出せない、という体験をするのだ。それは身の毛もよだつほど怖ろしいというのか、素晴らしいというのか、信じられないくらい面白い。「ここまで考えられるのだな」と思う一方で、「そうか、ここが人間の限界か」と垣間見える。
たぶん、将棋やチェスの名人とか、あるいは、チョモランマの山頂を目指す冒険家とか、そういう人たちもこんな限界を見るのだろうな(たぶん僕より日常的に)と思ったりする。このような深い思考というのは、一度ふっとリラックスしてしまうと、たちまち見失ってしまいがちだ。これは未熟だからだと思う。息を止めていないと考えられないことだってあった。
こんな領域へ到達しても、たしかに、思考の途中経過を他人に説明することはできない。言語や図形を超えているからだ。考えている自分でさえ、今なにをどうしているのか、整理して示せないことが多い。
「大学への数学」の件や「息を止めていないと考えられない」とか、ものすごくよく分かる。
受験勉強や学生時代よりも今の方が圧倒的に考えている。
おとなになっているのでそれは当たり前か。
彼と比べると僕の方が圧倒的にレベルが低いだろうけども。
僕のような(?)理系&ひとりでも大丈夫な人&マイノリティが共感するような文章をさらっとコントロールしつつ書ける森博嗣が好きだ。